2017年1月1日
人生の転機にはいつもこの人の作品が隣りにあった。
中学、高校そしてそれから、、。ずっと読み続けてきた沢木耕太郎さんの作品に、行き詰まった今の自分を変えてくれるなにかを求めて、『春に散る』を手にした。
やさしいな、慰めか。
敗れた者、壊れる者、何かを求めて求めて満たされることのない終わりない日々を生きる者。作家はまっすぐな眼で見つめ、なぜと問い続けることで不器用な人々の生き様を描き続けてきた。
『春に散る』はそうした者たちへの願いにも似た手向けに見えた。
苦難の果ての結末がこのような分かりやすい幸せであってほしい、、。
生きることに戦い続け、その有様を強烈に示し続けた作中の昭和の人々に改めて敬意を表したいと感じた。
11/30
今日、読み終えた2冊の本から今の人の、今の価値観をみた。
世の中、変わったなと、、。
創造的脱力 かたい社会に変化をつくる、ゆるいコミュニケーション論 (光文社新書)
- 作者: 若新雄純
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2015/11/17
- メディア: 新書
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ゆるい就職、JK課、NEET株式会社、就活アウトロー採用、、、。
ゆるいってなんだろう。序列でも、かつてあったような平等を謳うでもなく、、。現状では生産性が低いなと思える。固まった社会を生きづらく感じている人々に、うまく場を与えることで何かが生まれてくるといいなと期待させる。
ただ、ゆるくていい、自分なりでいいという選択肢は、なんだか心豊かな気がして、、。日本にももっとアウトサイダーな生き方があってしかるべきなんだ。
ユビキタスを超え、場となってゆくテクノロジー。テクノロジーのエーテルに包まれた世界、コンピューテーショナル・フィールド。
まるで魔法のような世界で、おとぎ話のようだが、いずれ実現することが実感される。
そうか、今は魔法の世紀なんだな、、。
現在は捨象されたものとしてのデジタルも、処理技術の進歩とともに味わいや、はてには感情まで持ってしまうんだろうか。AIがオートメーションで創る作品に共感し感動する日が訪れるのだろうか。
好きなSF漫画の言葉が、予言のように思い出された。
"企業のネットが星を覆い電子や光が世界を駆け巡っても国家や民族が消えてなくなるほど情報化されていない近未来” ー『攻殻機動隊』 第1ページよりー
情報端末に日々接触する我々の、曖昧で、いつの間にか全く変わっている世界観。明日にはSF世界にいても不思議じゃない予感がする。
2冊を読んで実感する。この20年を考えてなんだか遠いところに来てしまったなと、、。それと同時に何かを置き忘れてしまった。ヒトとして大事なものを捨象して生きているなと感じる。
だって最近の人間って人間臭くないんだよな(笑)
著者二人の顔を検索する。どちらも笑ってしまうくらい胡散臭い。
現代の救世主はこうしたアウトサイダーから出てくるのだろうか。
結局、確かなものは何一つ無くなってしまった、それだけが唯一の確かなことなんだと再確認、、。
11/5
地元の映画館、レイトショーで。
良い映画ではなかった。
終始物語はハイペースに進み、それも淡々として、ただただ原作の筋を追ってゆく。
感情移入すること、作品のリズムに乗ること、どちらも許されず取り残される。
観続けられたのは美しいひとつひとつのカット、小松菜奈、菅田将暉の魅力、ちょっとしたシーンのラフな演技の良さ。まとまりきらないが、いくつものパーツが良い。
そうして終局を迎える。花火のようなラストシーンだ。
本当に一瞬だった。何が良いのだか分からない、悪い部分も目につく、、、でも少し、しびれてしまった。
間に魅力がないこの作品は、映像と紙芝居のはざまにあるように思える。
監督、山戸結希、その原石から飛び出る鋭利なモノに知らず内に傷をつけられていた事に戸惑う自分がいる、、。
10/12
89年の新建築を引っ張り出し、伊東豊雄さんの『消費の海に浸らずして新しい建築はない』を読む。
よしもとばななの小説に出てくる少女の生活のような建築を作りたい。ということが書かれていて、すごく意外に思い、また面白かった。
何かを否定するのではなく、そこに浸りきって新しい生活を描き出す、、。
埼玉県立近代美術館に訪れ、『迫り出す身体』を鑑賞。
身体性ぐらいしか現代の拠り所はないんだろうなと、常々思っている。
小畑 多丘氏の彫刻が好きだ。リズムと抽象、現代の身体。
コンビニ人間を借りた。電車の中で読む。
今の生活像ってこういうものなのだろうかと。共感も、生活もない世界、、気持ち悪い。
現代って身体性はない。だからこそ、、、。
バーチャルの海に浸らずして新しい建築はない
身体がない中、どう対岸まで泳ぎきれば良いのか、、、。